宇宙空間(スペーススペース)

僕が毎週日曜日、言葉遊びをこねくり回す空間。

作詞(無題)

炎天下、自縛する有刺鉄線。

あの子は塞がった叢なぞって結う。

頭上、刑死した硝子が笑っている。

八月、伽藍堂は群青(あお)に頸を痛めて憂。

 

天球を蹴り穿っては憚らないあの、電柱に手向けられた花束を、枯らさぬように言葉を捨ててきたんだ。

継接いだ三秒間。

 

杳として行方知れずの共鳴りが、街の色引き裂いたら、ナケナシを握り締めて遭いに征こう。

作詞

ブログというものを始めたはいいものの、僕は、こう、自分のプライベートについてネットに書いたりするのが好きではないんだよな。なんか、人間の臭いのする文章を書きたくないというか、見られたくないというか、あくまで浮世を離れて概念として俯瞰していたい願望があって、要するに日記を書くのにトコトン向いていない人種で、そんな僕がブログをやっていく上でどうしたらいいか、ちょっと考えてみたんだが、やっぱり僕はソングライターだけあって、書いた歌詞を、詩として紹介していくのは如何だろうか、と思ったのだ。

というわけで、今後このブログはそういう方向性でやっていくつもりだ。

 

ちょうど今、作詞途中のモノがあって、それをまず、次回の更新までに完成させて紹介したいと思う。

シン・ゴジラを見てきた

ツイッターをはじめネットの批評家共を、蜂の巣を火のついた棒でつついたように騒がせている庵野秀明監督のシン・ゴジラ。猫も杓子もその話題で持ちきりといった感じなので、僕はいてもたってもいられず、平日だというのに、23時20分上映のごく遅いレイトショーを見てきた。僕は所謂ネタバレだとかを全く気にしないタチなので、事前に情報をかき集めていた。その断片的な情報を要約して「せいぜい二時間たっぷり使った贅沢なヤシマ作戦みたいなもんだろう」とタカをくくっていた。いや、それは決して間違いではないと言えるが、ただ途方もなく言葉足らずだ。

ヤシマ作戦というのは結局、俯瞰の視点からの話だったんだよな。でもシン・ゴジラは違う。臨場感と言い切ってしまうにはあまりにダイレクトな「自分自身の死」を感じた。ゴジラと目が合った瞬間だとか、それを感じるタイミングはいくつもあって、なおかつ、倒壊した家屋に巻き込まれた死人だとか、そういう描写を必要最低限にした結果、自分が感じた死が、他人のそれによってボやけたりしないのだ。

大勢の人間が協力して、一つのミッションを遂行していく。という熱さはヤシマ作戦と共通するものがあるが、それを見る我々の視点が俯瞰ではなく、地に引きずり降ろされた状態なので、完全に別物なのである。正直舐めてました。僕自身はネタバレ気にしないけれど、そのスタンスを他人に強いることはしたくないので、余計なことを書く前にこの辺で。

 

冷蔵庫

冷蔵庫を開ける。そこには隙間なく、生命維持装置が敷き詰められており、血液だろうか、赤い液体をどこか供給し続けるポンプの回転音とコンピューターのノイズ音が、この白い部屋に、冷気とともに漏れ出した。精神病院。太陽光とは無縁の地下四階。その無機質さはむしろ何者かの気配を浮き彫りにさせる。どこからか視線を感じるのだ。いや、そんなことはどうでもいい。僕は冷蔵庫の野菜室を開けた。そこにはチューブとプラグに繋がれた、おそらくは人間のものであろう脳があった。表面を太い血管が脈打っていることから、この脳は生きていて、そしてこの冷蔵庫はこれを生かすためのにあるのだと思った。金属のプレートに「被験体六号」とある。おそらく、これは、僕だ。笑い声が聞こえる。

曜日感覚

今日が日曜日であることに夜10時になってから気付いた。酒を買いに歩きながら、この記事を書いている。盆休みに入り、早くも曜日感覚を欠いている。

さて、先週土曜日のことを書こう。なぜそれを、先週日曜日の更新で書かなかったかと言えば、まあ単純に恥ずかしいからなんですわ。昨日のことを物語のようにしてしまうのは。それに、そうして仕舞えばまるで、全てそのためだったみたいじゃあないですか。

先週土曜は岡崎の花火大会で、人混みが苦手は僕はメイン会場である岡崎公園へは行かず、周辺をドライブしながら花火を眺めていた。でもまあ、気まぐれというか結局は、花火も祭りも、喧嘩も酔っ払いも片付いたであろうころを見計らって、自宅から30分ほどだろうか、酒を飲みながら岡崎公園、および岡崎城へと散歩することにした。

浴衣姿の男やら女やら、そうでなければ男女の番とすれ違う道中。普段はこう、幸せそうな連中を見ると居心地がもっと言えば持病の痔が悪くなってくるのだが、この日はなんだか、悪くないと思えた。なんだか、とはいえど原因は明確で、もちろんアルコール先生のおかげなんですが。帰路につく人の流れに逆らい僕はウイスキーの小瓶を片手に城へ向かう。横断歩道から人々を見下ろしてみたりして、自分がなんかの主人公になったような気さえした。ともあれ岡崎城に到着した僕は、友人からの連絡に気づき、彼を近くの居酒屋で待つことにした。最近アヒージョに嵌っておりまして、ムール貝のアヒージョとハイボールで一杯やってから、友人と合流した。

その年下の友人は、普段から僕をヨイショするきらいがあり、酔っ払ってもいた僕はよしゃあいいのに余計なことをべらべらとしゃべってしまったような気がする。行きつけのラーメン屋で餃子とビールを、その後コンビニで酒を買い、二人で岡崎城を歩くことにした。

こないだ、昔の想い人から連絡があり程なくして修羅場に巻き込まれたなど、本当にやめときゃいい話をたくさんしてしまった。ベンチで寝てしまったのか、気づけば夜中の3時をゆうに過ぎ、急いで家に帰ることに。家に到着したのが4時30分。服を着たままソファーで寝て、目覚まし時計に起こされたのが7時半。シャワーを浴びて準備をし、すぐに、大須のコスプレサミットへと向かった。

というように、たいへん無軌道な土曜日の夜を過ごしてしまった。こう、ズラっと書き出してみると、酒を飲み過ぎているな、と。

祭りの狂騒に誘われ、馬鹿なことを、してしまったなぁ。だけれども、恋人との待ち合わせには遅刻しなかったことは、褒めて欲しい。特にオチらしいものもないのだけど、このへんで。

東雲宵子。

僕、長宗我部駅地下は「東雲宵子を思い出してる。」という素っ頓狂な名前のバンドで作詞、作曲、歌を担当している。

(とは言え、今は宅録で音源を制作している段階で、お披露目はもうしばらく先になりそうなのだけれど)

完全に僕の独断で決めてしまったバンド名だが、まあ、このバンドの世界観とはすなわち僕自身のそれであるからして文句はあるまい。

さて、何故こんな酔狂な名前を思いついてしまったかと言えば、僕は高校生の頃に小説を書いていて、その登場人物の一人がずばり「東雲宵子」なのだ。バンドの名前を決めようと、その候補をいくつか挙げていく内に、かつて自分が小説を書いていたこと、アートフォームの原点がそこにあったこと、東雲宵子というヒロインがいたことを思い出した。

東雲宵子には、確かにモデルとなる人物がいたはずなんだけど、今となってはその顔も、名前も憶えておらず、むりやり記憶を辿ろうとすれば出来損ないのモンタージュのように、街ですれ違った女の目だとか、アダルトビデオに出てくる女の鼻だとかで補完されてしまって、ますます記憶情報は劣化していく。思い返せばそれほど虚しく変質、偏執していくのである。その無常、小説を書かんくなってしまった僕はもう、音楽で顕す他あるめえと「東雲宵子を思い出してる。」というバンド名を半ば強行的に採決したわけである。

きっと、僕だけじゃないと思うんよな。顔や諸々忘れてしまって、かろうじて声とか所詮その程度しか憶えてない、それでいて時たま強烈に思い出したくなる女がいるのは。僕はそういうのを、東雲宵子と定義することにした。

というわけで、さあ、誰にだっているはずの、東雲宵子を思い出せよ。以上。

はじめまして

さて、ある程度まとまった文字数のテキストを書くのを習慣づけるため、毎週日曜日の夜、酒を飲みながらこのブログを更新することにしようと思う。金にもならない文章を徒然と、なんて、ある意味訓練じみているけれど、酒のついでと思えば多少は吝かでなくなるだろう。

ところで僕は「東雲宵子を思い出してる。」というロックバンドで、作詞作曲と、歌を担当している長宗我部駅地下という者だ。僕の調べでは、長宗我部駅なんて駅は存在しないし、もっといえば長宗我部駅に駅地下は存在しないということになる。

今日はこの記事を書くにあたって何一つ話題を用意していないので、無駄な足掻きをする前に潔く筆を置こうと思う。

興味があったらまた適当に覗いてくれ。よしなに。